2020年10月28日水曜日

【期間限定公開】カペラ10月公演プログラム・ノート






前半と後半、2 つのプログラム

グレゴリオ聖歌とジョスカン・デ・プレのモテットを集めた本日のプログラム、前半は 3 つの詩編モテットを軸に、灰の水曜日のミサの一部をその中心に据え、罪の悔い改めと神のあわれみをテーマとしています。後半はすべて聖母マリアに関連したモテット群で、晩課で歌われるマニフィカトを挟んで聖母のアンティフォナと受胎告知のセクエンツィアを組みました。

前半は詩編モテット

旧約聖書に 150 ある詩編は、グレゴリオ聖歌の歌詞となり、聖職者たちによって日々の聖務日課の中で 1 週間ですべての詩編を唱えることで神への思いを代弁する祈りの言葉として歌われてきました。ジョスカン作とされる詩編のモテットは多数知られていますが、そのうち多くは特にドイツ方面で没後に作られた偽作で、議論はいろいろあるものの疑うことのない真作とされる作品は約 10 曲ほどです。本日演奏する3 曲のうち前半最後のモテットはひとつの詩編全体を使っていますが、他の 2 つはいくつかの詩節を組み合わせたものを歌詞としています。

国王ルイ11 世の祈り

1.「主の慈しみを」"Misericordias Domini" は神のあわれみに関する詩節を詩編 31、33、86、89、123、145 からばらばらに集めています。締めくくりは神への感謝の賛歌「テ・デウム」最後の歌詞です。最初の 4 節はすべて「主の慈しみ」"Misericordias Domini" で始まります。この継ぎはぎの由来はジョスカンが若い日に仕えていたフランス国王ルイ11 世と関連があると考えられています。健康が衰え、死期を感じたルイ11 世は 1481 年 4 月に若い画家ジャン・ブルディション Jean Bourdichon に 50 枚に及ぶ天使の絵を描かせ、トゥールの居城プレシ城Plessis-du-parc の中庭につるしました。その天使が語る言葉として巻物の中に記されたのが、まさにジョスカンのこのモテットの歌詞となっている詩節だったのです。病の床にあり回復を神に祈る国王は、描かれた天使を見、ジョスカンのモテットを聴いて神の慈しみを願ったのでしょう。王の臨終の言葉は、このモテットの最期の歌詞と同様「主よ、あなたにわたしは寄り頼みます。永遠にゆらぐことはないでしょう」"In te Domine sperabo, non confundar in eternum"  であったと伝えられています。

改悛の時期、灰の水曜日

自らの罪を悔い、神のあわれみを願うのは教会暦の中では特に四旬節 quadragegima と言われる復活祭前 40 日の時期ですが、その始まりを告げるのが灰の水曜日です。この日は前年に使われた棕櫚の枝などを燃やした灰で額に十字架を描くことで、人は塵であり、また塵に帰っていく、ということを思い起こすといわれます。この日のミサもやはり神のあわれみを歌う2. 入祭唱「あなたはすべてのものをあわれまれ」Intoitus: Misereris omnium で始まります。レで終わる第 1 旋法の聖歌ですが、始めの言葉「あなたはすべてのものをあわれまれます、主よ」"Misereris omnium, Domine" は慰めに満ちたレクイエムの冒頭を思わせるファを軸とした旋律に乗せて歌われます。入祭唱の後にキリエが続きます。


ジャン・ブルディションが描いた天使

プレシ城。ルイ11 世が過ごした


システィーナ礼拝堂のジョスカン

この改悛の時期のミサでは、使徒書朗読後の昇階唱の次に喜ばしいアレルヤではなく、神のあわれみを願い求める詠唱 Tractus が歌われます。詠唱「主よ、私たちの罪ゆえではなく」の歌詞は詩編 103 と79 に由来しています。特に15 世紀ヴァチカンのシスティーナ礼拝堂では、灰の水曜日の詠唱が歌われている間に、ミサを司式する教皇が玉座から立ち上がって聖堂の中央に置かれた椅子に移動して、そこでミトラ(法冠)を脱いで跪き、そしてまた元の座にもどるという儀式が行われていました。そしてその詠唱は教皇庁の音楽家によって作曲されたポリフォニー楽曲が演奏されていました。ジョスカンは1489 年 6 月から 1494 年頃までシスティーナ礼拝堂の聖歌隊員として活躍していたことが記録されています。おそらくは着任後まもなく、それまでに作曲されていた先任者の作品を手本にして 3. 詠唱「主よ、私たちの罪ゆえではなく」Tractus: Domine, non secundum peccata を作曲したと思われます。

システィーナ礼拝堂
右のバルコニーがジョスカンも歌っていた聖歌隊席


教皇の動きは詠唱に合わせて行われることになっていました。歌詞が「速やかに私たちを迎えてください」"cito anticipent nos" の箇所で礼拝堂中央に向かって歩き始め、「私たちをお助けください」"Adjuva nos" の箇所でミトラを脱いで跪き、「御名のゆえに」"propter nomen tuum" で歩き始めて元の座に戻ります。とくに聖歌では最後の"tuum" が長いメリスマになっていますが、教皇が落ち着いて歩いて戻り次の福音書朗読に備えられるよう、歌手は時間をかけてゆっくり歌うように求められていました。そしてポリフォニー作品は伝統的にこれらの動作を開始する箇所が分かりやすいように作曲されました。ジョスカンのこのモテットでも最初のポイント"cito anticipent" はそれまでの 2 拍子から早めの 3 拍子に切り替わり、"Adjuva nos" は一区切りした後にスペリウスが単独で高い音域でこの言葉を告げ知らせるように歌い始め、"propter nomen" は逆に低い 3 声が長い音価で和音を鳴らして言葉を特徴付けます。

ジョスカンは、本来はグレゴリオ聖歌で歌われるこの詠唱全体にポリフォニーのどれかひとつの声部が元の聖歌の旋律をなぞるようにと聖歌を組み込んでいます。詠唱の聖歌は旋律的に入り組んでいて捉えにくい性格ですが、それを様々な対旋律で巧みに色づけし、また聖歌の旋律を 2 つの声部のカノンとして浮き立つように作曲しています。

ポリフォニーによる福音書朗読

詠唱の後、ミサでは福音書が朗読されます。本日のプログラムでもここで福音書朗読をポリフォニーとした珍しいジョスカン作品を演奏します。ただし朗読箇所は灰の水曜日のものではなく少し前の五旬節の主日の朗読から取られています。イエスがこれからエルサレムへ行ってそこで受難を受けるだろうという預言の言葉です。これはマタイによる福音書 20 章 17-19 節なのですが、冒頭の言葉「その頃」In illo tempore という部分は福音書には含まれていません。その部分はミサの中で福音書を朗読する時に付加するお決まりの文句なので、このモテットが朗読をポリフォニーにしたものだといえるのです。また朗唱パターンのフレーズも作品の中に織り込まれています。出だしは何やら楽しげでとても受難を予告する言葉が続くとは想像できません。最初に現れる下降音型は、ジョスカンの聖母モテット「けがれなく、完全で、貞淑な方」"Inviolata, integra et casta es" の冒頭に酷似しています。また、「エルサレム」はラテン語聖書のこの箇所では通常のJerusalem ではなくHierosolymam(本日の演奏の 15 世紀フランス語式発音では「ジェロゾリマン」)という特殊な形になっており、ジョスカンはその言葉を何度も反復するように作曲しています。そういった反復はジョスカンがマタイ福音書冒頭の、名前の羅列だけのイエスの系譜を作曲した驚異的なモテットにも見られ、言葉の意味を強調するというよりは、その響きに反応して興に乗って作ってしまった、かのような印象があります。しかし一転して曲の後半部分は荘重に繰り返されるゼクエンツに始まり激しい連打の音型などによって受難の様子が物語られていきます。

この詩編モテットも真作間違いなし

5.「いつまで、主よ、お忘れになるのですか」"Usquequo, Domine, oblivisceris" は典型的な詩編モテットで詩編 13(ラテン語聖書の数え方では 12)をそのまま歌詞としています。この曲はジョスカン生前の写本はなく、16 世紀のドイツ系の写本、印刷譜に伝えられるのみで、そのような詩編作品には偽作が多いことからこの曲の真贋も疑われていましたが、最新の新ジョスカン全集では真作として認められています。いずれにせよ感動的な力作であることには違いないので、前半プログラム締めくくりとして取り上げることにしました。特に冒頭の「いつまでですか、主よ」"Usquequo, Domine" の主題が模倣されていく様は切実な思いを伝えており、とても印象的です。曲は窮状を神に訴え、救いを願って劇的に展開していきますが、詩編の言葉がすべて歌い尽くされた後その最後の部分で、もう一度冒頭部分が、まったく同一に繰り返され、この言葉の重みが聴く者の心に刻印を残すかのようです。この手法はジョスカンのモテット「思い起 こしてください」"Memor esto" でも効果的に使われています。伝承によればそれは世俗の主である宮廷の城主に約束を思い起こすように、という促しでもあったということですが、この詩編モテットにもそういった意図を読み取る研究者もいるようです。しかし音楽を聴けば分かるように、詩編作者の切迫した魂の神への嘆願が、この音楽を通して痛いように伝わってくることと思います。

O の部分


後半を彩る、麗しい聖母モテット

さて、プログラム後半は聖母に関するモテットです。クリスマスを待ち望む季節、待降節には晩課のマニフィカトに付随する聖歌「アンティフォナ」は、感嘆詞の"O" で始まる同じ旋律の聖歌が毎日歌われます。通称オー(O)・アンティフォナと呼ばれます。感嘆詞の後で待望の救い主のことを「ああ英知よ」“O Sapientia”、「ああアドナイよ」“O  Adonai”、「ああエッサイの根よ」“O radix Jesse” といった具合に日ごとに変えて歌います。そのひとつの変形として、聖母に呼びかけるオー・アンティフォナがあります。それが 6. アンティフォナ「ああ おとめの中のおとめよ」Antiphona: O virgo virginum で す。旋律は他のオー・アンティフォナと同じですが、ここではキリストではなく、おとめにして神の母となったマリアへの呼びかけが歌われます。後半は呼びかける「エルサレムの娘たち」に対して、マリアがそれは神の神秘なのだと答えます。

ジョスカンはこのアンティフォナをそのまま素材として全編を長い音価で使って、6 声のモテットに創り上げました。6 声という編成を生かして、高声 3 声と低声 3 声の対話のような効果を出したり、フォーブルドンと言われる3 声の即興和声的なセクションを挿入したり、そしてそれとは対照的に全声部が同時に高らかに歌うセクションでは小さなモチーフを各声部で畳み掛けるように繰り返し、緻密ながら動きのある音楽にしています。6 声の内訳は高声が 1 声、低声が 2 声で中間声部 3 声となっており、低い音域が充実して重厚な響きを作っています。まったく同じ編成で、似た作風の曲に、クリスマスのモテット「自然の摂理に逆らって」"Praeter rerum seriem" があります。こちらは次回、来年 1 月のヴォーカル・アンサンブル カペラの公演で取り上げる予定ですので、どうぞお楽しみに。

マニフィカトは聖母マリアの歌
前半がミサの一部だったのに対して、後半では晩課の一部を組み入れました。晩課では 4 つないし 5 つの詩編が朗唱され、そのあと賛歌hymnus が続きます。そして晩課の中心となるのがその後にくるマリアの歌「マニフィカト」です。ルカによる福音書第 2 章にあるように、身重のマリアが親類のエリザベトを訪問した時に、聖霊によるエリザベトの祝福をうけて歌ったのがマ ニフィカトです。ラテン語で最初の言葉「私の魂は主をあがめ」が "Magnificat anima mea Dominum"  であることから、この歌をマニフィカトと呼びます。マニフィカトは年間を通して晩課のクライマックスとして毎日朗唱されます。

ジョスカンの真作と考えられ全体が伝えられているマニフィカトは 2 曲あり、それぞれ第 3 旋法と第4 旋法です。ともに 12 節あるうちの偶数節のみがポリフォニーで作曲されています。奇数節はグレゴリオ聖歌の朗唱パターンで歌われます。ポリフォニーと単旋律聖歌を交互に歌うというのがこの時代一般的な習慣でした。全節をポリフォニーで歌う場合は、同じ音楽を歌詞を変えて繰り返すこともあったようです。第 4 旋法の作品はヴォーカル・アンサンブル カペラの公演で過去に何回か取り上げており、1 枚目のCD「サルヴェの祈り」にも収録されています。
本日演奏するのは第 3 旋法の作品です。こちらはベルリンに残されているドイツ系の写本のみに伝えられていて、作者名としてジョスカンと記されています。この写本の成立はジョスカンの生存中で、使われている紙がイタリア由来のものであることから、ジョスカンのローマ滞在中に作られたものをドイツ人が筆写して持ち帰ったという推測ができるということです。

マニフィカトの朗唱パターンは詩編の朗唱よりは複雑で荘厳であるとはいえ、旋律としては反復音が多く比較的単純です。それをジョスカンは6 つのセクションにおいてそれぞれを異る方法で引用し、場合によっては 2 つの声部のカノンとしたり、各節に異なる模倣の主題として多様に変形するなどして、6 つの楽曲がそれぞれ短いながらとても変化に富んでいます。各曲の終結部分もすべて違うように工夫されています。

詩編の朗唱と同じようにマニフィカトにも前後にアンティフォナという聖歌が付随します。すべての聖歌は何らかの旋法に分類され、その旋法の朗唱パターンでマニフィカトも歌われますので、朗唱パターンを素材とするポリフォニー作品も何旋法のマニフィカトと名付けられるわけで す。本日のアンティフォナは受胎告知の様子を物語るルカによる福音書第 1 章 34、35 節を歌詞としています。3 月 25 日が聖母の御告げの祝日でその日に歌われるアンティフォナです。これが第3 旋法なので続くマニフィカトも第3 旋法を選ぶということになるのですが、今回はジョスカンの曲を演奏したいために、第 3 旋法のアンティフォナを探してちょうどいい内容のものがあったので組み合わせたという次第です。このあと祈祷とベネディカームス(主に感謝)が続いて、晩課が終了します。

ルネサンス時代の 3 拍子

プログラム最後はこの受胎告知をそのまま歌う8. 続唱「おとめのもとへ遣わす」Sequentia: Mittit ad virginem です。12 世紀にフランスで作られた聖歌です。続唱はミサの中でアレルヤ唱に続いて歌われ、ひとつの旋律が 2 回ずつ歌詞を変えながら続いていきます。この曲では各行 6 音節、一節が 6 行、6 つの旋律からなり、ababc という脚韻で作詞されています。受胎告知の出来事を神学的に説明していきます。

 
ベルリンにある第 3 旋法のマニフィカトの写本。作曲者名としてジョスカン、と記されている。


本来グレゴリオ聖歌にはいわゆる「拍子」といったものはありませんが、続唱 Sequentia や賛歌 hymnus には少なくともルネサンスの時代において 3 拍子のリズムを付けて歌われたものもあることがわかっています。ジョスカンはこの聖歌をほとんど原形のまま作品に取り入れており、そこでは 3 拍子的なリズムがはっきりと示されています。そういうわけで、本日はこの聖歌全体を 3 拍子で歌ってみることにしました。何の問題もなく自然にそのように歌えてしまいます。

聖歌を元にした華麗なジョスカンの作品は 2 つの部分からなり、全体としては 2 拍子系(計量記譜の本来の用語でいえば不完全テンプスtempus imperfectum)であるにもかかわらず、その枠組みにとらわれずに聖歌を 3 拍子として捉え、そこに様々な対旋律を付加しています。後半部分では実際に 3 拍子(完全テンプスtempus perfectum)も使われ、かなり速い動きの 3 拍子のセクションもあり、旋律の様子から何か楽しげなクリスマスキャロルの雰囲気さえ漂ってくるようです。聖歌の方にある最後の 2 節はジョスカン作品には含まれておらずその代わりに「世々にいたるまで、アーメン」"per omnia saeculorum saecula. Amen." という祈祷の常套句で曲を閉じています。

本日の、前半と後半で対照的なジョスカンによるモテットのプログラムを、どうぞごゆっくり
お楽しみください。


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