2019年12月27日金曜日

【期間限定公開】カペラ1月公演プログラム・ノート


 オランダにいた頃、カトリック教会の聖歌隊を指揮していると日本の人に言うと、オランダはプロテスタントの国なのではないのかとよく尋ねられたものでした。16世紀の宗教改革でカルヴァン派が公の宗教となり、カトリックは表向きは禁止されましたが、それでもカトリックの信仰を守ろうという人たちが隠れカトリックとなり、隠れ教会を作りました。私が住んでいたアムステルダムにもそういった隠れ教会がいくつもありました。なかには当時の建築をそのまま残していて、今では博物館となっていて訪れることができるものもあります。外側は典型的な運河沿いの普通の住居ですが、中に入ると3、4階はぶち抜いた壮麗なバロック様式の聖堂になっていて、立派な祭壇やパイプオルガンまであります。これじゃ全然隠れてることにならないと思うのですが、オランダらしい寛容さの現れなのでしょう。教会の名前は一応隠語というか通称で呼ばれて、私が指揮していた教会は「愛」を意味するド・リーフデでした。他にも「オウム」とか「赤帽」なんかもありました。後に信仰の自由が保障されるようになってから立派なネオ・ゴシック様式の大聖堂が建てられましたが、皮肉なことに現代になって今度は信者の激減によって建物を維持できなくなり、なんと取り壊されてしまったのでした。


16世紀イングランドのカトリック弾圧

 16世紀イングランドの宗教改革はもっと厳しいものだったようです。政治的な思惑が大きく絡んでいたからです。イングランド教会は16世紀前半にヘンリー8世によってローマ・カトリックから独立、続くエドワード6世が教会のプロテスタント化を推し進め、一時女王メアリーの元でカトリックに戻るものの、次のエリザベス1世の時代には国家体制を固めるため、またカトリックの外国勢力から国を守るためにも、女王を頭とする国教会の確立が重要となり、カトリックは弾圧されました。国教会の礼拝に出席しなかったり、ミサを行ったことが発覚すると罰金や懲役が科せられ、さらには死刑に処せられた神父も多数もいました。隠れカトリックたちは公には「拒否者」recusant、訳語で「国教忌避者」と呼ばれていました。国教会を拒み礼拝に出席しない者という意味です。

 貴族や身分の高い「ジェントリ」階級のなかにもカトリックを守る人は多くいましたが、エリザベス1世の寛容な政策のお陰もあって始めのうちは事なきを得ていました。しかし1569年の北部カトリック貴族達の反乱と1570年教皇による女王エリザベスの破門を機にカトリック弾圧が強まります。さらには、1587年エリザベスを暗殺しての擁立を目されていた元スコットランド女王メアリー・ステュアートの処刑、それを受けての1588年のスペイン無敵艦隊イングランド侵攻とその壊滅を受けて、イングランドの隠れカトリック信者の状況は一気に厳しさを増していきます。

 この頃国外に逃れていたイングランドのカトリック神学生・神父らは北東フランス、ベルギーにほど近いドゥエDouayに神学校を作り、そこを拠点としてイングランドに密かに潜入、カトリック・コミュニティーを支えていました。この頃カトリックによる聖書の英訳が行われたのもこのドゥエで、ドゥエ・ランス Douay-Rheims 英訳聖書として知られています。伝統的なラテン語訳聖書 "Vulgata" に近く、実はラテン語の歌詞対訳を作るときとても参考になるので、よくお世話になっています。プロテスタントの国教会では礼拝は英語になり、カルヴァン派のように過激ではなくカトリック的な要素はかなり残されているとはいえ、「教皇主義的」な伝統的なミサとはかなり変わっています。イングランドでは16世紀末にはもう数十年の間公にはミサが行われていないわけなので、隠れカトリック・コミュニティーはこういった宣教師たちを必要ともしていました。そうしてやってきたのは主にイエズス会士でしたが、多くは政府転覆の謀反に加わったという理由から絞首刑、内蔵抉り、四つ裂きの刑となり酷たらしく処刑されていきました。


隠れカトリックの隠れミサ

 彼らは主に隠れカトリック貴族やジェントリの屋敷に滞在、密かにミサを行っていました。地方の城館には立派なチャペルを備えるものもあるわけですが、ミサはそういう場所ではなく、館の大広間といったプライベートな空間で行われていました。いざというときの隠れ部屋や避難経路なども用意されていました。ウィリアム・バードが残した3曲のミサ曲と一大曲集『グラドゥアリア』はまさにこういった状況の下にあった隠れカトリックのミサのために作曲されたものです。バードは特にその後半生カトリック典礼音楽を多数作曲し、さらにそれを危険な状況下で出版していきます。ミサ曲が1592年から95年にかけて、『グラドゥアリア』第1巻が1605年、2巻が1607年ですから、まさにカトリック弾圧のまっただ中での出版だったのです。バード自身が隠れカトリック・コミュニティーに名を連ねていて、貴族の館でのミサに出席していたということであり、そういった貴族たちがバードのパトロンであったということでもあります。ドゥエからやってきたイエズス会士を歓迎するセレモニーにバードが出席していたという記録もあります。だからバードのミサ曲は、壮麗な大聖堂で大きな聖歌隊によって声高らかに歌われていたのではなく、残響がほとんどない館の一室で、当局のガサ入れにおびえながら、それでもイエズス会士指導の元にカトリックのミサを守っていこうという人々のために、おそらくは各パート1人か2人位の小さなアンサンブルによって演奏されていたのです。パトロンたち自身が音楽に造詣の深い人たちだったこともあり、アンサンブルはプロフェッショナルなものだったろうとは思われますし、女声が加わっていたこと、場合によっては器楽も(歌と同時に?交互に?)演奏されていたことも知られています。



権力に助けられた活動

 それにしてもそもそもこういった立派な国教忌避者が、極めてカトリック的な音楽を当時の状況の中で出版できたということ自体が不思議に思えるかもしれません。バードはもともとトーマス・タリスの弟子として王室聖歌隊「チャペル・ロイヤル」で教育を受け、後にその一員「ジェントルマン」またオルガニストとして迎え入れられ、国家的セレモニーのため、また女王エリザベス1世を讃えるための音楽を作曲し、それどころか国教会のための英語の典礼音楽も多数作っています。隠れカトリックだったバードのパトロンたちも政府要人ばかりで、要するにバードは国家権力の中枢にどっぷりつかっていた音楽家だったのです。それが1593年、ちょうど「国教忌避者取締法」が出された年にロンドンからは離れたエセックスのストンドン・マッシー村に移住します。パトロンのひとりであったカトリックのジョン・ピーター卿の館が近くにあったのも1つの理由だったと思われます。そしてこの地でカトリック典礼音楽の作曲に力を入れるようになるのです。


表紙すらない小さな印刷譜

 こうして生まれた作品のなかでも3曲のミサ曲はバードの最高傑作として今日でも頻繁に演奏されています。バードは作品を出版するとき献呈辞や読者への前書きを添えるのが常でしたが、さすがにこの時期にまさにカトリック音楽そのものであるミサ曲をそれとしておおっぴらに出すことがはばかられたらしく、序文はおろか表紙すらない小さなパンフレットの形で印刷されました。しかしそのお陰でこの名曲が今日まで伝えられることになったのです。それぞれ3、4、5声のミサ曲1曲ずつで、バードのミサ曲はこの3曲以外に存在していません。本日はそのなかから、おそらく時期的に最初に作られたのではないかと考えられる4声のミサ曲を演奏します。

 そもそもミサ曲というジャンルそのものがなくなって久しい16世紀末にイングランドで作られた作品です。国内には同時代の類似作品、あるいはバードが参考にすべき曲はありません。4声のミサ曲については過去の作品の中でジョン・タヴァナーのミサ曲が下敷きになっていて、その構造をふまえ、おそらく敬意からサンクトゥスにはモチーフを引用している、ということは知られています。クレドの楽章は通常は3つめのセクションを"Et in Spiritum"から始めるのですが、バードのこのミサ曲では"Et unam sanctam"からになっていて、これも歌詞を大幅に割愛しているタヴァナーの曲に倣ったためでしょう。しかしすでに半世紀以上前の音楽であり、古いイングランドのカトリック音楽の伝統に連なろうという気持ちから参考にしたということでしょうか。

 バードのミサ曲はいろいろな意味で一般的なルネサンスのミサ曲とは異なっています。3曲ともそうですが、まずはタイトルが付いていません。多くの場合グレゴリオ聖歌や既存のポリフォニー作品などを基にして、その旋律を組み入れ構造の柱とする形でミサ曲が作曲され、その原曲の名前がミサ曲のタイトルとなります。バードのミサ曲にはそういった定旋律のようなものが一切ありません。また、歌詞の少ないキリエ、サンクトゥス、アニュス・デイでは、同じ言葉を何回も繰り返し引き延ばして作品を編み上げていくものですが、バードはそういったことは一切行わず、極めてコンパクトな作りになっています。特に言葉数の多いグロリアとクレドを見ると分かるのですが、一つ一つの言葉を実に丁寧に、それぞれの言葉に即して音楽を形作っているようです。大きな音楽的な構想があって、そこにミサの言葉を当てはめていくのとは真逆のアプローチです。唯一の例外がミサ曲最後の部分「平和を与えてください」"Dona nobis pacem"の部分で、ここではバスの持続低音の上何度もこの歌詞を繰り返していく、曲中でも最も印象的な部分です。カトリックを取り巻く血なまぐさい社会状況でこの祈りの重要性を強調しているかのようです。

 おそらくは演奏に関連する細かいことなのですが、バードが出版したミサ曲の印刷譜にはひとつ不思議なことがあります。この時代の楽譜には「クストス」といって、各段の最後に次の段の初めの音の高さを示す記号が必ず付けられています。時によると段が変わったときに音部記号の位置がずれていることもあるので、グレゴリオ聖歌や計量記譜によるパート譜を見て歌う時は重宝する記号です。それがバードのミサ曲ではなぜか、各楽章の最後にも付けられていて、次の楽章の初めの音を示しているのです。ミサ曲は本日のプログラムのように、典礼の中ではキリエとグロリア以外は続けて演奏されることはなく、楽章間には聖書朗読や祈祷などが挟まれますので、そんなところにクストスを付けてくれても何の役にも立たないのです。そのような例は他にお目にかかったことはありません。印刷上の都合か、リハーサルのためのものか、あるいは本当に全楽章が続けて演奏されるようなことがあったのでしょうか。もちろんミサ曲を続けて歌う演奏会などというものはこの時代にはまったく考えることはできません。しかし、歌われずに司式司祭が一人ですべての式文を小声で唱える形でのミサ"low mass"で、それに付随する音楽として固有唱などを一切歌わずに通常唱であるミサ曲だけを続けて演奏する、ということがひょっとするとあったのかもしれません。



創作活動の集大成、『グラドゥアリア』

 本日のプログラムはキリストの御体と御血である御聖体を記念するミサという典礼の枠組みで組まれています。このミサに固有の言葉である固有唱の部分は今回はグレゴリオ聖歌ではなく、バードが作曲したポリフォニーで演奏されます。そしてそれらの曲が含まれている曲集が『グラドゥアリア』です。2巻からなりそこには109の曲が収められているという巨大な曲集です。年間のミサで歌われるべき固有唱が体系的に作曲されていて、バード自身の言葉で、どのミサにはどれとどれの曲を歌うべきかといった案内まで詳細に付けられていて、完全にカトリック典礼のためにつくられているということがわかります。これだけ包括的な固有唱曲集は他にほとんどありません。そもそも固有唱をポリフォニーで歌うということが多声音楽の始まりでしたので、中世のパリ・ノートルダムのオルガヌム大全はその最初にして偉大な例です。その後ルネサンスの時代にフランドルのヘンリクス(ハインリヒ)・イザークが皇帝マクシミリアン1世、あるいはコンスタンツ大聖堂のために多数の固有唱を作曲して、没後弟子のゼンフルによって補筆された固有唱曲集が後に『コラーリス・コンスタンティヌス』として出版されたのがもう一つの例です。その他には例えばパレストリーナが年間の奉納唱をすべて作曲した『オッフェルトリア』など部分的な「全集」は残されています。教会暦を通して年間の各祝日の音楽を網羅しているという点では、ちょっと飛躍しますがバッハの200曲以上の教会カンタータもこれに類するといえるかもしれません。

 ジャンルとしてはモテットといえるのですが、バードがその前半生に作曲した華やかで祝祭的なモテット、あるいは悔恨の深い情念を表現したモテットなどと大きく異なるのは、歌詞の素材です。作曲のイメージを膨らませられる、音楽にふさわしい歌詞を選ぶのではなく、年間のミサの固有唱という、どちらかというと中庸で感情の起伏などとは次元の異なる歌詞を、体系的に作っていく、そしてそれを完成させるにはよほどのモチベーションが必要だったことでしょう。ここに含まれる大量の曲が、何か惰性か義務感から作られた様な気配が全くなく、ミサ曲と同様コンパクトながらもひとつひとつの言葉を巧みに生かしていて、実に多様で見事な出来映えの音楽であることにただただ感嘆するばかりです。バード自身が序文でこれが自身の「白鳥の歌」であると譬えていますが、自分の創作活動の集大成として書き上げたことが伺えます。同じく序文の中でこの神聖な言葉に付けた自分の音楽が、それにふさわしいか判断して欲しいとも読者にうったえています。白鳥の歌出版後もバードはさらに生きながらえて、1623年にストンドン・マッシーで亡くなり、国教忌避者であったにも関わらずかなりの財産を残し、「音楽の父」 "a Father of Musick" とさえ讃えられました。

 『グラドゥアリア』には実は典礼音楽ばかりでなく、信者が唱えるべき祈りとして祈祷書に含まれているような言葉も含まれています。バードの作品の中でも特に名曲として親しまれている「めでたし まことの御体」"Ave verum corpus"もその1つです。長和音と短和音が隣接して使われる「対斜」の響きによって、キリスト受難の苦しみの結果である御聖体への祈りの、じつに深い情感がにじみでています。典礼文ではありませんが、信者が御聖体を前にして唱える祈りとしてイングランドでは古くから知られていた祈祷だということです。本日はミサの最後の音楽としてこの名曲を演奏します。


ラテン語の発音もイングランド流

 バードという作曲家を考えるときに忘れてはいけないのは、その器楽作品、特に鍵盤楽器のための作品群です。イングランドではヴァージナルと呼ばれたチェンバロ音楽で、舞曲や変奏曲、ファンタジアなど技巧的にしてすぐれた多数の作品が残されています。仮に声楽作品が1つも残されていなかったとしても、これだけでもバードは大作曲家として評価されていたことでしょう。そこに含まれる生き生きとしたリズム表現は、ある意味英語という言語の持つリズム感、イントネーションを感じさせるものです。もちろん形と程度は異なるもののそれは声楽作品にも反映されています。ラテン語の宗教音楽演奏に歌詞の発音は作品表現そのものの土台になる重要な要素です。今回の演奏では、1600年前後にイングランドで行われていたと考えられるラテン語の英語的な発音でバードの曲を歌うという試みをしています。現代でさえ地方によりあるいは社会階級などによって英語の発音は著しく異なるわけですが、歴史的研究からある程度の傾向は提案されています。ポリフォニーを歌えるような訓練をされた歌手なら、それほど英語の影響を受けた発音をすることはないだろうとも考えられますが、少なくともフランス人やイタリア人のような発音でなかっただろうことは推測できます。またそもそも英語そのものがスペルとはなかなか一致しない例外だらけの発音を持つ言語ですので、ある程度推測に基づきながらですが、イングランド的な響きを出せるよう、そしてそれによってバードの音楽を生かせるよう努めてみました。この「神聖な言葉に付けられた音楽」の演奏がそれにふさわしいか、皆様にもぜひ御判断していただきたいところです。

 ヴォーカル・アンサンブル カペラとしては初めての取り組みとなります「隠れカトリック」バードの典礼音楽を、どうぞごゆっくりお楽しみください。



*16世紀末イングランドの歴史的状況につきましては
《青柳かおり「エリザベス治世イングランドにおけるカトリック教徒と隠れカトリック教徒」『大分大学教育福祉科学部紀要』第36巻1号(2014年)》
http://www.ed.oita-u.ac.jp/kykenkyu/bulletin/kiyou/aoyagi36-1.pdf
に詳しく述べられていて参考にさせて頂きました。
バードの音楽がおかれていた背景の理解に役に立ちますのでぜひご一読ください。

2019年10月6日日曜日

【期間限定公開】カペラ10月公演プログラム・ノート

プログラム・ノート


公開終了いたしました。
ヴォーカル・アンサンブル カペラの今後の情報は以下公式サイトでご覧ください。

http://www.cappellajp.com/

2019年9月5日木曜日

カペラ友の会会員募集のご案内 2019/20シーズン 定期会員・賛助会員


ルネサンス宗教音楽を専門とするプロのアンサンブル、ヴォーカル・アンサンブル カペラの演奏を定期的に楽しみ、そしてその活動を支えていただく「友の会」会員を募集します。
グレゴリオ聖歌とフランドルのポリフォニーの響きのなかに身と魂を浸していく仲間に、あなたも加わりませんか。

お問合せ・お申込み 
フォンス・フローリス (平日10時〜17時)070-4123-0871

contact@fonsfloris.com


2019/20シーズン定期公演 

* 開演20分前より音楽監督の花井哲郎による説明があります。



2019年

ジョスカン・デ・プレ 諸聖人のミサ


 2019年
 10月10日(木)午後7時15分 東京カテドラル聖マリア大聖堂(カトリック関口教会)

ジョスカン・デ・プレ/ミサ《ガウデアームス》



2020年

イギリス・ルネサンスのカトリシズム 〜 バードの御聖体のミサ


 2020年
 1月5日(日)午後5時 カトリック由比ガ浜教会
 1月15日(水)午後7時15分 東京カテドラル聖マリア大聖堂(カトリック関口教会)

ウィリアム・バード/4声のミサ曲
『グラドゥアリア』より 御聖体の祝日のミサ固有唱


ジョスカン・デ・プレ ミサ《パンジェ・リングア》 


 2020年
  6月10日(水)午後7時15分 東京カテドラル聖マリア大聖堂(カトリック関口教会)
  6月14日(日)午後5時 カトリック由比ガ浜教会(予定)

ジョスカン・デ・プレ/ミサ《パンジェ・リングア》
グレゴリオ聖歌 御聖体の祝日のミサ固有唱 ほか

カペラ定期プレトーク Vol.1  

花井哲郎が語るジョスカンの魅力 

2019年10月2日(水)午後7時開演(午後6時40分開場)

Space415 (東京都中野区新井2-48-12)

JR「中野」駅北口より徒歩12分 西武新宿線「野方」駅よりバスで5分 

http://space415.info/


ヴォーカル・アンサンブル カペラ音楽監督の花井哲郎が、ジョスカン・デ・プレの魅力、特にミサ《ガウデアームス》について語ります。
申し込みはフォンス・フローリス事務局へメールか電話で申し込み。

定員 30名

料金 1500円 (カペラ定期会員・10月定期チケット購入者は1000円・賛助会員の方はご招待)




カペラ友の会のご案内



定期会員


2回の定期公演でカペラの演奏をお楽しみいただける定期会員。1回ずつのご購入よりもお得です。原則として最前列の2列は定期会員の方のみが座れる優先シートです。またライブCDがお手元に届きます。特典をぜひ実感してください。


会費 12,000円   *定期公演3回のチケット・各1枚のご購入代金。通常の前売チケット料金(4,500円×3回)より1500円お得です。

会員特典

会員優先座席
最前列と2列目は早くからお並びいただいた定期会員の優先席です。
*会員優先整理券を公演の当日に配布。会場によっては全員が優先席にお座りになれないことがございますことをご承知おきください。

会員割引
フォンス・フローリス主催公演やカペラ定期公演事前レクチャーや関連公演チケットを割引価格でご購入いただけます。
(会員ご本人様1名分のみとさせていただきます)

ライブCD贈呈
カペラ・ライブCD(非売品)を1枚贈呈します。

日程の振替
複数回公演に限り、ご都合が悪くなった場合別の公演日に振り替えられます。事前にお知らせいただき、振替公演日に直接会場へお越しください。

プログラムへの芳名記載
会員の方のお名前をプログラムへ記載させていただきます。
匿名希望の方は、お申し込み時にお知らせください。



賛助会員


カペラの安定的な運営をご寄付で支えてくださる“賛助会員”を募っております。継続的な演奏活動のために、ご支援のほどよろしくお願いいたします。

会費 1口 22,000円 *定期公3回のチケットを各1枚贈呈いたします


会員特典

定期会員に準じます。さらにカペラ定期公演事前レクチャーや会員パーティーなど特別な催事の際には優先的にご案内いたします。


ご寄付について


1口1万円より、随時受け付けております。皆様のご支援をお願い申しあげます。



申込方法
(締切 2019年10月10日)


1)下記の必要項目を電子メールにて事務局までお知らせください(contact@fonsfloris.com)
(2)会費をお振込みください (振込手数料はご負担くださいますようお願い申しあげます)
(3)お申込みとご入金確認後、10月公演チケットをお送りいたします 
  ※公演会場で申し込まれる場合は、受付でお申込書へ記入していただき会費を支払いください。その場でチケットをお渡しします。

会費・チケット代金お振り込み先  
楽天銀行 第二営業支店
普通預金 7506495
カ) フォンス フローリス
としておいていただいた方がいいと思います。

申込必要項目


《必要項目》
1 御氏名
2 種別【定期・賛助・御寄付】
3 新規・継続
4 プログラムへの氏名掲載希望 有・無
5 御住所 〒
6 電話番号とメールアドレス
7 希望する日時・会場をお知らせください 
2020年
1月定期  5日(日)由比ガ浜・15日(水)東京カテドラル
6月定期 10日(水)東京カテドラル・14日(日)由比ガ浜

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お問い合わせ・申し込み
フォンス・フローリス (平日10時〜17時)
070-4123-0871
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