2022年7月22日金曜日

【期間限定公開】カペラ7月公演プログラム・ノート

プログラム・ノート

花井哲郎

15世紀ルネサンスの巨匠デュファイのミサ《スラファセパル(もし顔が青いなら)》は、音楽史上初めて世俗歌曲を基にして作られた通作ミサ曲というだけでなく、数多くのルネサンス時代のミサ曲の中でも特に傑出した名曲です。ミサ曲の下敷きになっている 0. 「もし顔が青いなら」(フランス語で「スラファセパル」"Se la face ay pale")はデュファイ自身が作曲した、愛の悩みを訴える3声部の歌曲です。その愛らしい曲想には苦しみよりも、純粋なひたむきさ、さわやかさ、さらには天上の神への思いに通じるものさえ感じられます。世俗歌曲であってもミサ曲の素材として使うのにふさわしい音楽です。そしてこのミサ曲以降、世俗的な歌曲の旋律をミサ曲に取り入れるという伝統が続いていきます。

テノールの「カノン」

この歌曲のテノールの旋律が、ミサ曲のなかでもテノールのパートによって「定旋律」として、全楽章そっくりそのまま歌われます。記譜上はすべて原曲通りですが、2. キリエ、12. サンクトゥス、14. アニュス・デイの3楽章には、その旋律に付随して「カノン」と呼ばれる次のような指示書きがあります。

"crescit in duplo" (「2倍に増える」)

つまり、書かれている音価の倍の長さで演奏しなさい、ということです。かなりゆっくりとしたテンポになり、そのことでテノールがいわば音楽の骨組みとして機能することになります。そこに低い第2テノール(バッスス)の声部が同じようなペースで和声の土台となる対旋律を加えていきます。その上で、より細かい動きで最上声部のスペリウスが華麗な旋律を展開し、そこに寄り添うように中間の音域でコントラ・テノールが絡み合っていきます。このように15世紀中頃のポリフォニーには、各声部がそれぞれ独自の役割を担って、かなり性格の異なる旋律を重ねていくという特徴があります。そしてそのようななかで、軸としての定旋律として曲を組み立てていくのにこの旋律はうってつけなのです。

時代が下って15世紀終わり頃になると、すべての声部が対等に同じ旋律を模倣しながら音楽を作っていくスタイルがだんだん主流になってきます。元になる素材の扱い方がこの作品のようなルネサンス・ミサ曲の初期からだんだん変わっていくのです。たとえばジョスカン・デ・プレのミサ《パンジェ・リングア》はパートによる役割の違いはあまりなく、各声部同じモチーフを展開していく次世代の作りになっています。

定旋律のシャンソン・テノールの演奏です。

さて、この定旋律ですが、残る二つの楽章、3. グロリアと9. クレドには少し違った指示書きがあります。上の譜例にあるとおりで、

Canon
Tenor ter dicitur. Primo
quilibet figura crescit
in triplo secundo in duplo
tertio ut iacet

指示書き:
テノールは3回歌う。1回目は
どの音型であっても
3倍に拡大して、2回目は2倍に
3回目はそのままで。

つまりこの2楽章では定旋律は3回繰り返す、しかも1回目は記譜されている音価の3倍の長さで、2回目は倍で、そして3回目は記譜の通りに歌う、ということになります。あくまで原曲の記譜を残しながらも、指示書きによってそれぞれの音の長さを3:2:1の比率で短くしていく、つまり段々早く演奏するように仕組まれているのです。このことによってグロリアとクレドの2楽章は全体が同じ長さになり、均等なプロポーションで緊迫感を高めていき、それぞれが輝かしいアーメンで楽章を閉じるようになっています。特に始めの部分の音価を3倍にすることによって、他の声部の動きと微妙なずれが生じて、まさにそのことで面白いリズムの効果が生まれます。デュファイはそれをうまく生かして、旋律美だけではなく独特なリズムの絡み合いを作り出しています。

ポリフォニーの重なりの中でテノールの声部は常に飛び出して聞こえてくるわけではありませんし、この比率も簡単には聞き分けられないかもしれません。しかしこのことを頭の片隅に入れておいてお聴きいただきますと、音楽の楽しみ方が少し変わってくるのではないかと思います。

このような定旋律の操作によって3つのセクションの長さが一定の比率で短くなるというだけでなく、絶妙な比率によって組み上げられた建造物のような構成美を感じ取ることもできるかもしれません。

少し後のジョスカン世代になりますと、変化を付けるために2拍子系と3拍子系のセクションではテンポ感を変えるようになっていますが、このデュファイのミサ曲では基本となる拍節テンポをほとんど変えないで演奏することで、この構造が生かされます。もちろん曲想に応じて多少の伸び縮みはありますが。

歌曲の旋律はミサ曲のこういった構造だけでなく、もちろん細かな曲想も規定しています。一部を除いて全体がほとんど変わらないハ長調のような朗らかな響きに終始していますので、ミサ曲の中でも大胆な「転調」や不協和音といった和声的な複雑さはほとんどありません。複雑でないということは単調だというわけではなく、限られた単純な和音を実に巧妙に配し、展開させることで、天国的な、極上の響きを作り出しているのです。

この定旋律はしかしリズムの観点から見ると実に多様であり、デュファイらしい活力に溢れています。もちろん、そうと感じられるように歌う必要があるのですが、リズムに注目してこのミサ曲を捉えると、単調さからはほど遠い、まさにリズムの饗宴と言った様相が感じられてくることと思います。次から次へと異なるリズム音型が繰り広げられていくのを楽しむことができることと思います。

このミサ曲を伝えるヴァチカンの写本では、テノールの声部にはキリエの楽章に元のフランス語の歌詞が部分的に記されています。そこに、本来の歌詞には含まれていない"Tant je me deduis"「私はこのように推測する」という一行が書かれています。写し間違いだろうと言われてきましたが、これはミサ曲の内容に合うように歌詞をミサとしてよりふさわしくなるよう変更して歌いなさい、という意味とも考えられるということです。ラテン語のミサの歌詞に置き換えるということか、フランス語の歌詞を変えるということか、よくわかりませんが、今回はキリエに関しては始めに原曲を示すという意味もあって元のフランス語の歌詞で、グロリア以降はその都度他の声部に合わせてミサ通常文の歌詞を部分的に付けて歌うことにしました。

特異なバラード


シャンソン"Se la face ay pale"の演奏です。

歌曲「もし顔が青いなら」"Se la face ay pale" は愛に悩んで顔が青ざめ、苦しみゆえにやつれ果ててしまった人の嘆きの歌であり、またそれほどまでに素晴らしいご婦人への愛の讃歌でもあります。それが、神聖なミサという儀式のための音楽に使われたのはなぜでしょう。

デュファイは生まれ故郷に近いカンブレの大聖堂に落ち着くまでは、パトロンであるサヴォワの宮廷に何回も滞在し、そこからフィレンツェやローマの教皇庁を始め各地に出かけて行っては活躍していました。サヴォワは、北イタリアのピエモンテからフランス南東部のサヴォワ、スイスのジュネーブを含む地域に広がり、1416年に公国となったばかりでした。

この歌曲は1430年代に、大変な美女として知られていたサヴォワ家の妃アンヌ・ド・リュジニャンのために作曲されたと考えられています。優美で軽妙な音楽の魅力は、当時まだ10代の若く美しい妃に触発されたのではないかとも思わせます。

しかしこれはどうも単純な愛の歌曲ではないのではないか、という見方もあります。形式としてバラードという詩形なのですが、一般的なルネサンスの歌曲定型のバラードとしては特異な1行5音節が支配的な形です。ここに何か特別の隠された意味があるかもしれないのです。

青い顔、というのは、愛に苦しむ人よりはむしろ、死にゆく人にみられる特徴です。そして愛のゆえに死んだ最大の「人」は、神の子イエス・キリストです。愛のシャンソンを宗教的に解釈するという試みはデュファイの同時代に広く行われていました。例えば美しい貴婦人を慕い忠誠を誓う、その気持ちは、聖母マリアへの崇敬につながるものです。また神秘主義的な信心の高揚を求める宗教家たちの間でも、愛の歌を宗教的に解釈するということが行われていました。

バラード「もし顔が青いなら」の1番で脚韻として使われている amer(「愛する」、と同時に「つらい、苦しい」、という意味にもなる)、la mer(「海」)といった言葉は、当時の宗教詩にも頻繁に使われた脚韻です。愛のゆえに苦しみ、海に身を投げたいほど、という愛する人の悩みを、人類への愛のゆえに十字架の苦しみを受けんがために、地上という罪人たちの「海」に身を投じた神の子と読む例は、15世紀の宗教文学の世界では他にもあります。

1行5音節の、5という数字は、宗教的に解釈すれば、イエスが受けた5つの傷(磔の際の両手足の釘の痕と、兵士が刺した脇腹の傷)、いわゆる聖痕と考えることもできます。キリスト受難の詩に5音節が使われることは当時はよくあることでした。聖週間のグレゴリオ聖歌の「咎め」Improperia の5音節の歌詞はとても印象的です。"Popule meus/Quid fecit tibi/.../Responde mihi" (私の民よ、私があなたに何をしたというのか、答えなさい)。そんなことから、そもそもこのバラードそのものが、宗教的な意味合いを込めて作られたのかもしれない、というのです。あるいはこの1430年代の若い頃の作品に、デュファイが後に宗教的な解釈を読み込んで1450年代のミサ曲に取り入れたのかもしれません。

キリストの聖骸布

ところでもうひとつサヴォワ公国に関連した出来事があります。

ミサ《スラファセパル》を伝える写本は3つありますが、そのうちの最初の「トリエント写本」が1459年から60年にかけて写譜されたものであり、次のヴァチカンの写本が1470年代のもの、ということから、また、サヴォワ公に関連したシャンソンを使っているということから、このミサ曲はデュファイがサヴォワに最後に滞在していた1452年から1458年までの作品であると考えられています。まさにちょうどこの時期に、キリスト教界で最も重要な聖遺物のひとつである「聖骸布」がサヴォワ公国の所有となりました。キリストの体を包み、その姿を映し出した布であり、「トリノの聖骸布」として現代にいたるまで崇敬の対象となっています。聖骸布は1452年にサヴォワ公が滞在していたジュネーヴに到着し、間もなくサヴォワ公の居城があるシャンベリーの聖堂サント・シャペルに移されます。後に、16世紀後半にサヴォワの首都がトリノに定められてからは聖骸布もトリノに安置され、それ以降「トリノの聖骸布」と呼ばれるようになりました。

デュファイがこの時期にサヴォワに呼び戻されたのは、まさにこの一大イベントのためなのであり、ミサ《スラファセパル》はそのために作曲されたのではないかとも考えられるのです。デュファイがサヴォワへ到着したのが1452年、聖骸布はその翌年です。そしてそのようなミサ曲を作曲するにあたってふさわしい定旋律として、少なくとも意味を読み替えればまさにぴったりなバラード「スラファセパル(もし顔が青いなら)」を選んだのではないかということです。

愛ゆえの「青い顔」は、まさに聖骸布に刻印されたキリストの顔であるとも言えます。そしてそのテノール声部の旋律は、ちょうどお手本となった英国の通作ミサ《カプト》などに使われていた定旋律と同じような音楽的特質があり、新しいスタイルの4声のミサ曲を作るのに格好の素材でした。

トリノの聖骸布は十字架から降ろされたキリストの御体全体を包んだものとされ、その全身を映し出していますが、当時一般に公開されたのは幾重にも折りたたんでキリストの顔だけが見えるようになった状態でした。そんなことから、キリスト受難の際に聖女ヴェロニカが御顔を拭いた際にキリストの顔が映し出されたというヴェロニカの布と取り違えられたりもしたとのことです。キリストの「青い顔」を映したヴェロニカの布は当時の聖画にも頻繁に描かれていました。その一方でバラード「もし顔が青いなら」の1行5音節を5つの聖痕と解釈するなら、それをキリストの体全体の象徴と考えることもできます。聖三位一体を描いた祭壇画の十字架上のキリスト、例えばローマのサンタ・マリア・ノヴェッラ教会にあるマサッチオの作品などは、聖骸布に見られるキリストの体そのものを描いています。ローマで教皇庁聖歌隊楽長に務めたことのあるデュファイもこの絵はおそらく見ていたことでしょう。

ヴァチカン図書館所蔵の写本にあるミサ《スラファセパル》の冒頭ページではキリエ Kyrie の K の文字が、イルカにのって帆に風を受けて海を進む裸身のヴィーナスのような女性の細密画として描かれています。

Kの文字として描かれた、ヴィーナスのような女性の細密画

このような組み合わせはおそらくはギリシャ神話にある、海神ポセイドンの妃アンピトリテだろうと考えられます。ポセイドンの求婚から身を隠したアンピトリテを海の底から見つけ出したのがイルカです。そもそも魚は初代キリスト教でイエス・キリストを示すシンボルであり、ギリシャ・ローマ古典をキリスト教的に解釈する試みの中ではイルカはイエス・キリストの象徴と捉えられていました。このミサ曲が聖母でも、何らかの聖人でもなく、イエス・キリストそのものに関連した作品であることを、写本としての装飾性の中でかなり遠回しに知らせているのかもしれません。

そういうわけで、本日はミサ《スラファセパル》を聖骸布にまつわるミサ曲として、キリストの受難を記念する随意ミサという枠組みの中で演奏することにしました。通常、ミサでは教会暦のなかでその日にお祝いする特定のテーマが決まっているわけですが、暦とは関係なく、任意のミサを行うこともよくありました。例えば聖母のミサ、聖霊のミサ、三位一体のミサなどがあり、ラテン語ではMissa votiva(信心のミサ)とよばれます。「受難のミサ」もそのひとつです。聖骸布が成立したキリスト受難の情景とその意義を、グレゴリオ聖歌のミサ固有唱、聖書朗読、祈祷が歌っていく中で、このミサ曲にひとつの可能性としての意味合いを持たせることができればと思います。

聖母のモテット

ミサ終了後、このテーマとは関係ありませんが、デュファイによる聖母への祈りの歌3曲を演奏いたします。

18. 「喜んでください、キリストの母であるおとめよ」"Gaude Virgo Mater Christi" は、ジョスカン・デ・プレのモテットにもまったく同じ歌詞の作品がありますが、5回にわたる「喜んでください」"Gaude" に導かれて聖母の生涯の5つの出来事に思いを馳せます。2つの写本に伝えられていますが、どちらも4声部です。ところが4つめの声部であるコントラテノールは、曲のあちらこちらで残りの3声と辻褄の合わない不協和な音を作り出し、どうも居心地がよくありません。これは本来は3声の作品であり、誰か別の、ひょっとするとそれほど有能ではない15世紀のどこかの音楽家が4つめの声部を付け加えたのではないかという節が濃厚です。それでその声部を抜かして演奏してみると、まさにデュファイの真骨頂といった素晴らしいモテットになるのです。というわけで本日はおそらくは真の姿である3声のバージョンで演奏します。

19. 「私の魂は溶けてしまいました」"Anima mea liquefacta est"は旧約聖書の「雅歌」を歌詞としています。雅歌における恋人たちの愛のやりとりは、聖母と神の関係として解釈されてきました。この曲はグレゴリオ聖歌ではアンティフォナというジャンルの曲で、主に聖母被昇天の祝日に歌われてきました。デュファイの作品はテノール2声とバッススという低い3声部のモテットで、全編にわたってこの実に麗しいグレゴリオ聖歌の旋律をパラフレーズしながら曲が展開していきます。

デュファイを始め15世紀前半の歌曲やモテットを多数集めた、オックスフォードのボドリアン図書館にある大変貴重な写本に収録されています。3つの声部は聖歌に基づいた旋律を1声部ずつ順番に歌っていきます。従って歌詞を言うタイミングにずれが生じるわけですが、この写本によるとそのずれている箇所には歌詞が書き込まれていないので、同じ歌詞を繰り返す様に補うか、あるいはそのまま母音唱で歌うかどちらかですが、今回は補わないことで、一つの声部の歌詞がよりはっきり聞こえてくるようにしてみました。聖歌との関連を味わっていただけるよう、まず単旋律の聖歌を歌い、引き続きデュファイのモテットを演奏いたします。

20. 「めでたし、おとめ」"Ave Virgo"も3声部の作品で、低い2声がほとんど「伴奏」のように和声的に支える上で、上声部が華やかにほとんど即興的な旋律を繰り広げます。複雑なポリフォニーではなくいってみれば「歌謡調」の音楽で、そういった意味でカンティレーナ Cantilenaともよばれます。18. 「喜んでください、キリストの母であるおとめよ」では4声の曲をおそらくは本来の3声部の形で演奏しますが、ここでは逆に、4つめの声部を加えてもうまくいくのではないかとふと思い付いて、音楽監督花井哲郎が15世紀の音楽家に範を取って、第4声部を作曲してみました。後世に「それほど有能ではない21世紀のどこかの音楽家」と言われるかもしれませんが、一つの試みとしてご賞味いただけましたら幸いです。


20. の3声での演奏です。


ギヨーム・デュファイ「めでたし おとめ」Guillaume Du Fay, “Ave Virgo”
2016年7月19日(火)午後7時 ウェスレアン・ホーリネス教団 淀橋教会 小原記念聖堂

演奏:ヴォーカル・アンサンブル カペラ
superius: 花井尚美 安邨尚美
contratenor: 青木洋也 望月裕央
tenor: 及川豊 渡辺研一郎
bassus: 櫻井元希 花井哲郎(Maestro di Cappella=音楽監督)

2022年7月16日土曜日

2022年シーズン定期公演「カペラ友の会」会員募集


ありがとうございます! 
ヴォーカル・アンサンブル カペラは
おかげさまで 25周年!


7月と10月に開催する2回の定期公演をセットにして聴いていただきます。


定期会員 8,500円

通常の前売券よりお得! 2回の定期公演でカペラの演奏をお楽しみいただけます。 定期公演2回分の前売一般チケット料金(4,600円×2回)よりも 700円お得です。


2021年10月21日木曜日

【期間限定公開】カペラ10月公演プログラム・ノート

プログラム・ノート


公開終了いたしました。
ヴォーカル・アンサンブル カペラの今後の情報は以下公式サイトでご覧ください。

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