2023年1月12日木曜日

【期間限定公開】カペラ1月公演プログラム・ノート

  



演奏プログラム


聖ペテロの教座のミサ Missa in festo cathedrae S. Petri


ジョヴァンニ・ピエルルイージ・ダ・パレストリーナ 教皇マルチェルスのミサ

Giovanni Pierluigi da Palestrina (ca.1524-1595), Missa Papae Marcelli


1. 入祭唱「主は彼と平和の契約を」 グレゴリオ聖歌

Introitus: Statuit ei Dominus Gregorian chant

2. キリエ   教皇マルチェルスのミサ パレストリーナ

Kyrie Missa Papae Marcelli Giovanni Pierluigi da Palestrina

3. グロリア  教皇マルチェルスのミサ パレストリーナ

Gloria Missa Papae Marcelli Giovanni Pierluigi da Palestrina

4. 集祷文   Collecta

5. 使徒書朗読   Epistola

6. 昇階唱「主をあがめよ」 グレゴリオ聖歌

Graduale: Exaltent eum Gregorian chant

7. アレルヤ唱「あなたはペトロ」 グレゴリオ聖歌

Alleluia: Tu es Petrus Gregorian chant

8. 福音書朗読   Evangelium

9. クレド   教皇マルチェルスのミサ パレストリーナ

Credo Missa Papae Marcelli Giovanni Pierluigi da Palestrina


休憩


10. 奉納唱「あなたはペトロ」 グレゴリオ聖歌

Offertorium: Tu es Petrus Gregorian chant


11. 「あなたはペトロ」(6声) パレストリーナ

“Tu es Petrus” a 6 Giovanni Pierluigi da Palestrina

12. 叙唱   Praefatio

13. サンクトゥス 教皇マルチェルスのミサ パレストリーナ

Sanctus Missa Papae Marcelli Giovanni Pierluigi da Palestrina

14. 主の祈り   Pater noster

15. アニュス・デイ パレストリーナ

Agnus dei Missa Papae Marcelli Giovanni Pierluigi da Palestrina

16. 拝領唱「あなたはペトロ」 グレゴリオ聖歌
Communio: Tu es Petrus Gregorian chant

17.「鹿が泉の水を慕い求めるように」 パレストリーナ
“Sicut cervus desiderat” Giovanni Pierluigi da Palestrina

18. 拝領後の祈り   Postcommunio

19. 閉祭唱   Ite missa

20. 「めでたし 元后(サルヴェ・レジーナ)」(8声) “Salve Regina” a 8



トリエント公会議とパレストリーナの伝説

多声音楽、ポリフォニーが一般に教会において、必ずしも常に歓迎されていたのではないことは、西欧の教会音楽の歴史の中で明らかになっています。ポリフォニー揺籃の地であるパリのノートルダム大聖堂でも14世紀から15世紀にかけては典礼の中心はグレゴリオ聖歌となり、ポリフォニーはほとんど締め出されていたようです。15世紀の多声ミサ曲などは宮廷を中心に発達したので、貴族の楽しみのために作られた世俗歌曲の旋律を取り入れるようなこともあり、町の大聖堂などでは「宮廷風」すぎるということで、一切排除しようとする主張すらあったようです。それが顕著に現れたのが、16世紀のトリエント公会議です。ルターの宗教改革もあり、カトリック教会でも綱紀粛正の動きが盛んになりますが、それは音楽にも波及しました。ポリフォニーではいくつもの旋律が折り重なるので、異なる歌詞が同時に唱えられることになり、言葉自体が聞き取りにくくなります。さらには宮廷風な世俗的な要素も加わっているとなれば、改革の流れの中では多声音楽に対する風当たりが強くなるのも当然です。

19世紀初頭のパレストリーナ研究家ジュゼッペ・バイーニの記述によると、トリエント公会議の勧告を受けて、教会ではポリフォニーを廃止しようという機運が高まっていましたが、それを阻止する役目が、公会議時代のローマの大作曲家パレストリーナに与えられたというのです。枢機卿たちの集まる中、歌詞がよく聞き取れて、典礼にふさわしいミサ曲の作曲が依頼され、それらの作品が枢機卿たちを納得させることができたら、ポリフォニー廃止は取り下げる、ということになりました。まさに、パレストリーナの筆に教会音楽の命運が託されたことになります。そして枢機卿たちの前で演奏された3曲のうちの一つが、本日のミサ曲である「教皇マルチェルスのミサ」でした。その結果は大成功、パレストリーナは教会音楽を救った英雄となったのでした。

残念ながらこれは「伝説」であって、オペラの題材にもなりましたが、実際にはこのような劇的な展開になっていたわけではなく、「教皇マルチェルスのミサ」がこのような機会に作曲されたのでもありません。ポリフォニーが完全に廃止される運命にあったのでもなく、パレストリーナの作品が粛清の流れを決定的に変えたのでもないことがわかっています。ただ、伝説には真実も含まれており、教会音楽において言葉を大切にする、聞き取りやすくする、またその言葉が典礼にあずかる者の信心を深める役割を担えるような音楽を作るという動きが、16世紀後半のイタリアの作曲家たちの作品に、一つの方向性を与えることになったことは確かです。そして「教皇マルチェルスのミサ」はそのような浄化された教会音楽の最高の実例であり、そのため、ルネサンスのほとんどのミサ曲が歴史の中で忘れ去られていった中で、後の世まで「名曲」として歌い継がれ、語り継がれる作品となったのです。


対位法の大家

パレストリーナの名声はまた、対位法の大家、ポリフォニーの完成された姿を実現した作曲家、というところにもあります。「パレストリーナ様式」は教会音楽の模範となり、教科書の中に収まります。無駄がなく、言葉の抑揚に従った滑らかな旋律が、不協和音を極力避けた対位法によって重ねられていきます。純粋で濁りがなく、均整が取れていて、まさに心を神に向けるにふさわしい教会音楽なのです。

しかしこれはパレストリーナの音楽の一つの側面であり、実際にはむしろ対位法的でない音楽の作りが前面に出ている作品も多数あります。そもそも言葉を聞き取りやすくするのに対位法的な書法は向いていません。いくらパレストリーナの対位法が洗練されていて、明確だといっても、多声で旋律をずらしながら模倣していけば、歌詞の交錯は必ず生じます。本当にわかりやすくするためには、全声部が同時に同じリズムで歌詞を唱えていく方がいいに決まっています。そして、そのような「和声的」な部分が、まさに「教皇マルチェルスのミサ」の魅力の一つでもあるのです。特にグロリア、クレド、といった歌詞の多い楽章にその傾向が強く見られます。

16世紀末から17世紀初頭にかけて、ヴェネツィアで複合唱の様式が発展します。演奏者をいくつかのグループに分けて、二つ、あるいはそれ以上の「合唱」が呼応しながら音楽を展開する様式です。パレストリーナにもそのような作品があり、例えば4声の合唱を二つ重ねた8声部の二重合唱作品では、ほとんど和声的に曲が進んでいきます。「教皇マルチェルスのミサ」は6声ですが、6つの声部のうち3つ、あるいは4つの声部を様々な組み合わせで対比させながら、擬似的な複合唱を作り出している箇所がたくさんあります。そのようなところでは歌詞はくっきりと聞こえ、畳み掛けるような呼応には劇的な効果さえあります。



出版譜の謎

ルネサンス時代のほとんどのミサ曲は、グレゴリオ聖歌、歌曲、モテットといった、すでにある旋律や楽曲を使い、それを引用したり、作品の構造上の骨組みにしたりすることで曲が作られます。ミサ曲のタイトルはその元の曲の歌詞から取られます。ゼロから全て新たに作曲されるのはまれですが、「教皇マルチェルスのミサ」はそのような例外の一つです。マルチェルス二世はトリエント公会議の時代、1555年にほんの3週間だけ即位していた教皇です。その誉をたたえての命名であるわけですが、作品自体はおそらく1562年か63年くらいに作曲されたと考えられています。1567年に出版されたパレストリーナのミサ曲集第2巻に収められています。

この印刷された出版譜の他に、二つの手稿写本が残されています。出版譜より前に作られていたと考えられますが、そちらには出版譜にはない第2アニュス・デイが含まれています。これは「教皇マルチェルスのミサ」の中でも最も対位法的技巧を凝らした楽章です。この楽章では写本には5つの声部が書かれていますが、そのうちの一つの声部には音部記号が3つ記されています(譜例参照)。つまり一つの旋律が音の高さを変えて、3つの異なる声部によって順番にカノンとして歌われるということであり、残る4つの声部と合わせて、全体として7声になります。楽譜を見ずに演奏だけからこのカノンを聞き取ることは至難の技とは思いますが、その3声を軸として組み立てられた大変な力作です。これがなぜ印刷に際して割愛されてしまったのかは、全くの謎です。

写本と同じく印刷でも、フォリオと呼ばれる大きな紙を折りたたんだ判型を使いますが、そのページ数がキリがいいところに来たので、曲集の最後の部分となる第2アニュスは残念ながら入りきらなかった、という説明があります。合理的のようでどうも信じがたい理由です。16世紀前半くらいまでは、典礼文として3行あるアニュス・デイは3つのセクションに作曲されることが多かったのですが、16世紀後半には次第に二つ、最終的には一つだけになっていくという傾向はみられます。その流れに従ったのか、あるいはまさに対位法的に高度であるから、公会議の精神から外れるとみなされたのか。本日の演奏は基本的に1567年出版のミサ曲集第2巻を使います。これはそのまま演奏用のクワイヤブックとして使えるようなフォーマットで印刷されています。しかしそこに含まれない第2アニュス・デイをヴァチカンの写本を用いて付け加えることにしました。


教皇のためのミサ

本日の演奏会は「聖ペトロの教座の記念」のミサという典礼の形式でプログラムを組んでいます。これはつまりは聖ペトロの後継者であるローマの教皇のためのミサであって、教皇マルチェルスに捧げられたミサ曲を演奏するのにふさわしい典礼です。

本日のグレゴリオ聖歌は「メディチ版」聖歌集 Editio Medicea を使います。トリエント公会議の精神を反映して、中世から伝わるグレゴリオ聖歌を時代に合った旋律に編集しようという動きの結果として作られたものです。一つの音価に多数の音が続いていく、いわゆるメリスマの箇所を短くしたり、中世の歌唱様式を表すような同一音程での音の反復を廃止して一つの音に集約したり、ラテン語のアクセントに旋律線がうまく合致するようにしたりと、古来の旋律を基にしながらもかなり大胆な「整理」が行われました。教皇グレゴリウス13世の要請のもと、1577年にこの作業に取りかかったのが、ほかでもないパレストリーナでした。それをパレストリーナの弟子であるフランチェスコ・ソリアーノとフェリーチェ・アネリオが引き継ぎ完成させて、1614年にメディチ出版から出したものがエディツィオ・メディチェア、「メディチ版」聖歌集です。繊細で表情豊かな10世紀のネウマが伝える中世の聖歌からはかなり変形してしまっており、聖歌の歴史としては近代の恣意的編集による堕落として悪名高き聖歌集です。しかしこれも聖歌の一つの形には違いないのであり、16世紀後半、ルネサンス最後期イタリアの音楽的感性から生まれたひとつの記念碑です。まさに、パレストリーナの感性によく合った聖歌の形といえるのではないかと思います。

聖歌で歌われるミサに固有の部分のうち、10. 奉納唱「あなたはペトロ」"Tu es Petrus" の歌詞をパレストリーナが6声のモテットにした作品があります。本来は2部分からなるモテットですが、そのうちの奉納唱と同じ歌詞をもつ第1部をグレゴリオ聖歌に引き続いて演奏いたします。この日の福音書朗読にある歌詞で、イエスがペテロに対して語った言葉です。「あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる」。教皇マルチェルスのミサにあるような、6声部を二つのグループに分けて呼応させる和声的な書法がとても効果的な作品です。冒頭部分は、ビクトリアTomas Luis de Victoria のモテット「わたしは美しいものを見た」"Vidi speciosam"に酷似しています。ビクトリアが先人の名作を取り入れたということかもしれません。もちろん似ているのは最初だけで、そのあと全く違う展開になっていきます。

16. 拝領唱も同じ聖句「あなたはペトロ」です。これに続くモテット17.「鹿が水の泉を慕いあえぐように」“Sicut cervus desider at ad fontes aquarum” はパレストリーナの作品の中でも特に抜きん出て有名な作品です。やはり2部からなるモテットで、その第1部のみが歌われることが多いのですが、本日は全2部すべてを演奏します。

プログラム最後はおなじみの聖母への祈りの歌 20.「めでたし 元后(サルヴェ・レジーナ)」"Salve Regina" です。パレストリーナの作品としては4声、5声、6声、8声、12声の5曲のサルヴェ・レジーナが残されていますが、本日の作品は8声部です。これこそまさにヴェネチア的複合唱のスタイルで作られた、「バロック的」とも言えるような作品で、二つの4声部の合唱による掛け合いが実に効果的です。ポリフォニーの極めつけのような「鹿が水の泉を慕いあえぐように」とはまったく対照的で、この2曲を比べて聞くことにより、教皇マルチェルスのミサの中に見事に融合しているパレストリーナの二つの相異なる特色をはっきりと感じ取って頂けることと思います。

新年にふさわしいすがすがしいパレストリーナの音楽をどうぞごゆっくりお楽しみください。そして皆様にとって本年も音楽による喜びに溢れた一年になりますよう祈願いたします。