2021年10月21日木曜日

【期間限定公開】カペラ10月公演プログラム・ノート



この素晴らしい音楽を残してくれた

ジョスカンに感謝の思いを込めて


プログラム・ノート 花井哲郎

ヴォーカル・アンサンブル カペラ音楽監督・古楽演奏家



 ルネサンス時代、1500年前後の作曲家たちが取り組んだ作品のジャンルは、宗教作品であるミサとモテット、それに世俗的な作品と大まかには3つに分かれますが、それぞれにジョスカン・デ・プレ Josquin des Prez(1450/55?-1521)はすぐれた作品を多数残しています。本日はモテットに焦点を絞り、なかでも特にすぐれた作品、古今広く親しまれてきた代表作を選びました。没後500年を記念するジョスカン・イヤーにふさわしい名曲選です。


 ジョスカン作品は本当に素晴らしい曲ばかりですので、モテットに限ったとしても一晩のプログラムを選ぶというのはなかなか難しいのですが、今回は最近の演奏会で取り上げていなかった曲を中心に据えてみました。


 ルネサンス音楽でモテットというと、一般的にはミサ曲でない宗教作品をひっくるめて名付けられている概念です。ラテン語式にモテートゥスということもあります。今回特に聖母マリアにちなんだ曲が多くなっていますが、そもそも聖母崇敬が盛んだった時代で、さらにそのような典礼、また「サルヴェの祈り」といった聖母への祈りの集いもよく行われていたことから、いわゆる「マリア・モテット」が好まれていたのだと思われます。


「アヴェ・マリア」


 前半はすべて聖母への祈りを歌詞としていて、なかでも有名な「アヴェ・マリア」の聖歌がひとつのテーマとなっています。プログラム1、3、5番目の曲にはすべて「アヴェ・マリア」の聖歌が含まれています。そういうわけで演奏会はまず 1.a.グレゴリオ聖歌「アヴェ・マリア」”Ave Maria”で始まります。通常の「アヴェ・マリア」の半分の長さしかありませんが、これが「アンティフォナ」という、詩編朗唱の前後に歌われる短い聖歌としての、中世古来の「アヴェ・マリア」です。16世紀になって後半部分「神の御母聖マリア」”Sancta Maria, Mater Dei...”以下が追加されて今日知られる「アヴェ・マリア」となりました。


 1.b.「天使ガブリエルが遣わされ」”Missus est Gabriel angelus“はその「アヴェ・マリア」の言葉が天使によってマリアに語られる場面を描いています。いわゆる受胎告知の時に大天使ガブリエルがおとめマリアのもとへ遣わされ、「めでたし、恵みあふれる方」と呼びかけて神の御言葉を告げます。冒頭の言葉「遣わされた」”Missus est”にはソーソレレという上行5度の単純なモチーフがあてがわれているのですが、これをスペリウスに始まってアルトゥス、テノールと3つの声部がまったく同じ音域で順番に模倣していき、4番目にバッススがオクターブ下で加わります。そして曲の途中で天使の言葉として「めでたしマリア」”Ave Maria”が聖歌の旋律にのせて響く時はこの逆の順、まずバッススが低い音域で、その後テノール、スペリウスアルトゥス、がそのオクターブ上の同じ高さでこの聖歌を模倣していきます。最後は1.a.アンティフォナの「アヴェ・マリア」にあったように、喜びの声「アレルヤ」が繰り返されます。短いながらジョスカンらしい細部の工夫が曲全体にわたって大変バランス良くコンパクトに詰め込まれている佳曲です。


カノンの美


 プログラム前半のもう一つのテーマはカノンです。それも2つの声部がまったく同じ旋律を追いかけていく典型的ないわゆるカノンです。この後の2番から5番までの4曲にはすべてカノンが含まれています。15世紀のポリフォニー作品は多くが4声部で作られていますが、ジョスカンはカノン声部を付け加えることで5声、6声に声部数を拡張しています。16世紀のポリフォニーの基本はやがて5声となり、さらに6声、8声と大規模な編成も好まれるようになってきます。


 本日の公演はヴォーカル・アンサンブル カペラが通常行っている様にクワイヤブックを使ったルネサンス様式の密集隊形ではまだ演奏することができませんので、ディスタンスを取って拡散して並びます。本来の演奏方法ではないのですが、それを逆手に取り、カノンの声部を歌う歌手が少し離れて立つことで、どこがカノンになっているのかが分かりやすいように配置する予定です。


 2.「けがれなく、完全で、貞節な方、マリア」 ”Inviolata, integra et casta es Maria”は5声のモテットで、テノール声部がほぼ原型のまま歌うグレゴリオ聖歌の続唱Sequentiaの旋律を別の声部が5度上で模倣していく完全なカノンが作品の軸になっています。3部構成のモテットで、聖歌もそれに応じて3つのセクションに分けられています。第1部ではそのカノンの旋律の冒頭部分を残りの3つの声部がまず模倣で歌い始めるので、4番目の声部としてカノンの先行声部が入ってきた時は、それがカノンの入りであるということはすぐには把握できないように、言ってみればカモフラージュされています。しかしカノンでない声部が広い音域で華麗に縦横無尽に動き回るのに対して、カノン声部は穏やかな順次進行の聖歌を淡々と歌いますので、次第にその「軸」としての役割が聞こえてくることと思います。


 続唱の特徴として、定旋律は基本的に1音節1音で均等に進行していき、落ち着いたペースで動きます。それを基盤として「けがれなく、完全」な聖母マリアのイメージが表現されていきます。混じりけのない実に清らかな、ジョスカン作品の中でも特に純粋で美しい作品です。


ジョスカンの魂のために


 ジョスカン・デ・プレは1521年8月27日に亡くなりますが、その少し前に死期を察して遺言を作っています。そのなかで、死後に自分の魂の救いのために逝去者記念の典礼を執り行い、行列をして自分の家の前で自作のモテット1曲を歌うことを望んでいます。それが3.b.「私たちの父よ(主の祈り)/アヴェ・マリア」”Pater noster/Ave Maria”です。没後500年を記念する今こそ演奏するにふさわしい作品といえるでしょう。


 タイトルが二重になっているのは、前半が主の祈り、後半がアヴェ・マリアという意味です。6声部のうち2つの声部が完全なカノンになっていて、第1部は2.「けがれなく、完全で、貞節な方、マリア」”Inviolata”と同様、テノールの旋律をもう一つの声部が5度上で追いかけるのですが、第2部のアヴェ・マリアではこの2つの声部はまったく同じ音高のカノンとなります。最晩年の作品にふさわしく、余計なものを一切そぎ落とした単純にして最高度に緻密な語りのテクスチュアによる音楽です。それが同度のカノンによって、後半はさらに凝縮されていくのが感じられることと思います。


 最後の祈りの言葉「選ばれた者たちと共にあなたにまみえることができますように」”ut cum electis te videamus”は全声部で何度も繰り返され、切々と訴えかけるように曲を閉じます。本当に研ぎ澄まされた音楽で、魂のための祈りの音楽としてこれほどふさわしいものはないでしょう。そしておそらくはこれがジョスカンの最後の作品となったとも考えられます。


 カノン声部となっている聖歌の「アヴェ・マリア」はお馴染みのモチーフで始まりますが、ルネサンス最後期の巨匠ビクトリアによる8声の「アヴェ・マリア」と同じ歌詞が続いていきます。厳格なカノンなので、おそらく今は知られていない聖歌を元にしているとも考えられます。今回はジョスカン作品から遡って類推して、こんな形だったのではないかと思われる「聖歌」をモテットに先行して演奏します。


対照的な2作品


 続くプログラム4番と5番の2曲ともやはり2声部のカノンが含まれていますが、まったく異なる対照的な方法で組み込まれています。4.b.「あなたは祝福された方」”Benedicta es”は、ひとつ前の曲と同様6声部です。歴史的に見ても1510年頃以前に6声部のモテットはほとんど作られていません。そういうことからもジョスカン作品でも6声部の曲の多くは最晩年の作と考えられます。この時代に基本である4声から声部数を増やす時は、たいてい内声であるテノールやコントラテノール(アルトゥス)を増やしていき、スペリウスとバッススは1声のままということが多いですが、この曲では珍しくバッススが2声になっていることで低音域が充実した重厚な響きになっています。ジョスカン作品ではそのような編成の曲はもう1曲だけ「ああ おとめの中のおとめよ」”O Virgo virginum”があります。


 「あなたは祝福された方」”Benedicta es”は16世紀に大ヒットしたとみえて、何と60以上の写本・印刷譜に収録され、他の作曲家がこのモテットを下敷きにして作ったパロディ・ミサが7曲も知られています。後半に演奏される「悲しみの聖母(スターバト・マーテル)」”Stabat mater”もやはりとても人気があり、56の原典資料が残されています。ちなみに有名な「アヴェ・マリア・・・清けきおとめおとめ」”Ave Maria...virgo serena”は27ですが、それでも多い方です。


 この曲のカノンはまずスペリウスが先行してして歌う聖歌の旋律をテノールが追いかけます。聖歌は続唱Sequentiaで、同じ旋律が異なる歌詞で2回ずつ歌われる散文詩です。それぞれの旋律の音節数が異なり、それに従って各セクションの旋律の形、長さも不規則になっています。聖歌がカノンとして引用されているのははっきり分かりますがそれほど厳格ではない部分もある、比較的自由なカノンです。


 最晩年の作品らしく全声部均等に模倣が割り振られていて、例えばカノン以外の声部がフランボワイヤン(炎が燃えるよう)に展開する「けがれなく、完全で、貞節な方、マリア」”Inviolata”とは大きく異なっています。


 全体は3部の構成ですが、続唱の第3節を歌うモテットの第2部は、スペリウスとアルトゥスの二重唱です。モテットの中間がまるまる完全な2声となっているのはジョスカン作品では他にはありません。第3部は動きのある3拍子となり、最後に2拍子に戻って壮麗なアーメンで曲が締めくくられます。


フェラーラのジョスカン


「あなたは祝福された方」”Benedicta es”のカノンが他の声部との模倣の中に紛れ込んでいてそれとして認識するのが難しい、あるいはそもそもカノンを際立たせて聴かせようという意図があまりなく、構造上の装置として使っているのに対して、5.「救いをもたらすおとめ」”Virgo salutiferi”では、カノンが明瞭に、高らかに鳴りわたります。5声部の作品ですが、曲は基本的にアルトゥス、テノール、バッススの三重唱で、その3声がモテットの歌詞を歌っていきます。そしてカノンとなるテノールと追いかけるスペリウスはモテットの歌詞ではなくグレゴリオ聖歌のアヴェ・マリアをほとんど原曲のまま、その上に繰り広げるのです。アルトゥス以下の三重唱にテノールが先行してアヴェ・マリアを歌い始め、最後に高い音域でスペリウスが模倣して加わった時は何に喩えることもできないほどの輝きを放ちます。


 やはり3部構成で、第1部で聖歌が登場するのは三重唱がかなり進んだ後で、その音価もとても長いのですが、第2部、第3部と進むにつれて、アイソリズムのモテットのように音価は3:2:1の割合で縮小されていき、聖歌が現れる間隔も短くなります。それに従って5声部分が増えるので緻密さも増していきます。


 三重唱の歌詞の作詞者はフェラーラの宮廷詩人エルコレ・ストロッツィErcole Strozziです。ジョスカンは1503年から4年にかけて1年間、エステ家のエルコレ1世に招かれてフェラーラに滞在していました(詩人が同名なのが紛らわしいですが・・)。その時に作られた代表作がミサ《フェラーラ公エルコレ》Missa Hercules dux Ferrariaeです。


 ところでパルマの美術館所蔵のある音楽家の肖像画がジョスカンを描いたものではないかという説があります。

パルマの美術館所蔵のある音楽家の肖像画


その手に持っている楽譜がジョスカンの作品であるのがその理由のひとつです。この断片のイタリア語の歌詞の作詞者が、当時フェラーラに滞在していた詩人ピエトロ・ベンボです。ベンボは1500年前後のイタリア文芸界を代表する詩人で、近代イタリア語確立に重要な役割があったとされる人物です。ジョスカンとフェラーラで出会った時はまだ血気盛んな30才頃です。「救いをもたらすおとめ」”Virgo salutiferi”の作詞者エルコレ・ストロッツィ宅に住み、ちょうどこの頃フェラーラ宮廷に嫁いできてフェラーラ公妃となった麗人ルクレツィア・ボルジアと関係を持っていたとも言われます。ヨーロッパで最も輝かしい、伝統のある宮廷で、イタリア中の話題となっていた時の人、若いルクレツィア、ベンボ、ストロッツィの華やかな交際の輪の中にジョスカンが加わって、さぞかし粋な文芸談義が行われていたことでしょう。


ジョスカンの詩編


 ジョスカンがフェラーラで作曲したと考えられるもう1曲のモテットが6. 「わたしを憐れんでください、神よ」“Miserere mei, Deus”です。イタリアの詩人テオフィロ・フォレンゴTeofilo Folengoによる叙事詩『バルド』“Baldo”の中で、ジョスカンの代表的なミサ曲、モテットのタイトルがあげられていますが、その中に「フェラーラ公の依頼によって作曲されたミゼレーレ」という一文があることからも、フェラーラ時代の作であることが推測されています。様式的に見てもミサ《フェラーラ公エルコレ》Missa Hercules dux Ferrariaeや「救いをもたらすおとめ」”Virgo salutiferi”と共通するものがあります。それは定旋律が極めてくっきりと聴き取れるように配置され、繰り返され、曲の区分も明確で、情熱的な宗教家であったエルコレ1世の気性にふさわしい内容であるということです。


繰り返される“Miserere mei, Deus”

 ジョスカンの名を冠した詩編作品は知られているだけで52曲ありますが、その多くはジョスカン没後に詩編需要が高まったドイツ方面で、ジョスカンのスタイルをまねて作られた偽作です。新ジョスカン全集に真作として収録されているのはそれでも11曲あります。なかでもひときわ特徴的な構造を持ち、かつ内面的な感情がにじみ出てくる名作がこの「ミゼレーレ」です。


 詩編は聖務日課という聖職者の日々の祈りの中で、一定の朗唱パターンに基づいて唱えられていきます。この5声のモテットではテノールの声部がひとつの朗唱パターンによって「わたしを憐れんでください、神よ」“Miserere mei, Deus”の言葉だけを随所に何度も繰り返していきます。ひとつの音高でこの歌詞を唱えるように歌い、DeusのDeの1音だけ、ひとつ上に上がるという本当に単純な朗唱です。曲は3部分からなりますが、第1部ではこの朗唱はミの音で始まります。その後、曲が進むにつれてレから、ドから、シから、と1音ずつ開始音を下げていき、最後はオクターブ下のミまでいきます。それが第2部ではその音から始め1音ずつ上げていき、オクターブ上のミまでいき、第3部ではそのミからまた始めて1音ずつ下げ、しかし今度は途中のラで終わりとなり、全体がラを基音とした終止和音で終結します。


 神の前に罪を犯したことを悔い改め、神に救いと解放を願うその思いが、他の声部が進めていく詩編の歌詞の合間合間に挿入されるテノールの同一の歌詞による朗唱で、否応もなく高められていき、実に素晴らしい効果が生まれるのです。もちろん、詩編の起伏に富んだ歌詞の内容に応じて音楽は様々に展開していきます。しかしこの「わたしを憐れんでください、神よ」“Miserere mei, Deus”が繰り返されることで、基底となるただひとつの思い、願いが切実に響き続けるのです。


 この詩編50篇をポリフォニーにした作品は、ジョスカン以前にはやはりフェラーラで楽長だったヨハンネス・マルティーニJohannes Martiniによる、単純な和声付けの作品が知られるのみです。「ミゼレーレ」はキリストの受難を記念する聖週間の典礼で日々繰り返される重要な詩編です。そしてフェラーラ公エルコレは特に聖週間の典礼に思い入れが深かったということが知られています。途中で拍子やテンポを変えることなく、淡々と進みながら、すべての言葉がそれにふさわしい旋律にのせて語られていくゆえに、悔恨の詩編としてその説得力は絶大です。第3部で特に頻繁に現れる、下降音階のモチーフが各声部に重なり広がっていく箇所は、苦しくもどこまでも清らかに美しい悔恨の気持ちを感じさせてくれます。


神秘の連作モテット


 聖務日課の中でも特に重要な時課である晩課では、5つの詩編朗唱の前後にそれぞれアンティフォナと呼ばれる短い聖歌がリフレインとして歌われます。教会暦の祝日の内容によって、その言葉が異なっています。5曲の連作モテット7.「ああ、驚くべきまじわりよ」”O admirabile commercium”は1月1日主の御割礼の祝日の晩課で歌われるアンティフォナそれぞれを5曲のポリフォニーに作曲したものです。1曲目と2曲目はイエス・キリストの受肉の神秘、3曲目と4曲目はおとめマリアの懐胎の神秘、そして5曲目はマリアとイエスそれぞれの意義を集約しています。この5曲は中世には土曜にあてがわれている聖母の聖務日課の晩課という位置付けもなされています。


 ジョスカンは「ミサのモテット」motetti missalesという、ミラノのスフォルツァ家に由来する連作モテットを3セット作っています。それとは歌詞の内容も、作曲の様式もかなり違っていますが、ミサ曲のような大規模な音楽作品をモテットというジャンルで実現しているという点では共通性があるとも言えるでしょう。


 「ミサのモテット」と異なるのは、和音の連続で言葉を語っていくようなことをせず、歌詞の行による違いを際立たせるために、くっきりした対比のある区切りをつくらない、歌詞の細部を表出するような修辞的要素がないといった点です。様式的には元の聖歌の扱い方が1.b.「天使ガブリエルが遣わされ」”Missus est Gabriel angelus“と似ています。徹底的にポリフォニーであり、聖歌を絶妙にパラフレーズして模倣を連続させていく、というスタイルなのです。


 1曲目の感嘆詞「ああ」”O”がいきなり神秘の世界に私達を引きずり込みます。聖歌の旋律そのものがすでに奥義を体現しているかのようで、それがジョスカンによってさらに深みを与えられていくのです。そういうこともあって、モテット各曲の前に、その都度まず聖歌を演奏します。


悲しみと慰めの旋法


 演奏会最後にもう一度、聖母のモテット、それもとびきりの名作をお聴き頂きます。8.「悲しみの聖母」”Stabat mater”は9月15日聖母の七つの御苦しみの祝日のミサで歌われる続唱を歌詞としています。聖歌の旋律は使われず自由に作曲されていますが、定旋律としてジル・バンショワGille Binchois(1400?-1460)作曲の世俗歌曲「悲しみにくれる女のように」“Comme femme desconfortée”のテノール声部が使われています。5声部からなるこのモテットでもやはりテノールがその旋律を受け持ちますが、各音がかなり長く引き延ばされていて、そもそもテノールの声部だけですので原曲の面影はまったく感じられません。しかし全曲を通して音価の割合は原曲のままに忠実に残しています。さらにこの定旋律には最初から最後まで休符が一切ありません。そのことで他の声部が、定旋律の休止中に声部数を減らして自由に動くような箇所がなく、厚い響きが続いていきます。


 世俗的な「悲しみにくれる女」のイメージを、十字架のたもとでくずおれて、打ちひしがれ、胸に剣を突き刺されたような苦しみに耐える聖母に昇華させて当てはめたということなのでしょうか。


 しかし全体の響きは何も知らずに聞くとのどかなヘ長調の和音を基本としているかのようにも感じられることと思います。しかしこれが慟哭の悲しみ、あるいは悲しむものへの慰めの響きでもあることは、ミサ《フォルトゥーナ・デスペラータ》(手に負えない運命の女神よ)の元になったイタリア語歌曲が同じ旋法、ヘ長調的な響きであることからも分かります。その歌曲は運命のいたずらで酷い境遇におとしめられた人のことを嘆き悲しむ歌です。また、ジョスカンによる旧約聖書を歌詞とするダビデの嘆きの歌「ダビデはしかし嘆き」”Planxit autem David”も同様で、冒頭の旋律は、このスターバト・マーテルと全く同じです。死とこの曲調に関連があるということを知り、歌詞を追ってみると、聞こえ方も違ってくることと思います。そしてこれは単なる悲劇ではなく、その悲しみは高潔な思いに支えられている、と考えるのもいいかもしれません。グレゴリオ聖歌の死者ミサ「レクィエム」にある「永遠の休息を」”Requiem aeternam”もファで始まる穏やかな旋律ですが、それを人々は愛する人の死のたびに聴いてきているということも関連しているのでしょう。


 続唱の歌詞は、聖母の苦しみを自分も同じように味わい、苦しみたいと願う、非常に情熱的な祈りです。「ミゼレーレ」が同音反復の朗唱を土台に、順次進行の下降音階の旋律が悔い改めを表現していたのとは対照的に、「スターバト・マーテル」は分散和音的に跳躍する旋律線、言葉単位でめまぐるしく変わっていく和音で、揺れ動く激しい思いを伝えています。



 今晩の演奏曲目は、どれをとっても、すべての作品に強烈な個性、明確な楽曲構成のプラン、そしてそれぞれの情感があります。没後500年を記念して、この素晴らしい音楽を残してくれたジョスカンに感謝の思いを込めて歌いたいと思います。ヴィヴァ・ジョスカン!